2021.05.19 05:50ハッキョとわたしの思い出【1】私が小学校1年生を迎える春。存在さえ知らなかった同郷の人たちが我が家を訪ねてきた。「子どもたちに自国の言葉、文字を学ばせましょう!」女性同盟支部委員長だった。日本でそんなことは無理だと思っていた両親は、この女盟委員長の言葉に明るい日差しを感じたそうだ。日本学校で身体検査、仮入学までした私にとっては幼心に先が真っ暗だった。立派な校舎に広い運動場。たくさんのお友達と赤いランドセル並べ通学路を歩く姿・・・その列を横目で見ながら通学バスを一人寂しく待ち、遠い朝鮮学校へ行くことになるとは。古く小さな校舎に狭い運動場。その運動場も半分は近隣の人の所有地で、真ん中をトタンで区切ってあった。いつしか子供たちが開けたのかそのトタンに、人ひとりが通れるほどの穴を開けて、両...